東京高等裁判所 昭和43年(う)675号 判決 1969年4月16日
主文
1原判決を破棄する。
2被告人を無期懲役に処する。
3原審における未決勾留日数のうち一八〇日を右刑に算入する。
4原審および当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、検事神崎量平並びに弁護人中込陞尚および被告人作成名義の各控訴趣意書に記載してあるとおりであるから、いずれも、ここにこれを引用する。
第一検察官の控訴趣意第一点について。
所論は、原判決は、被告人に対する爆発物取締罰則第一条並びに殺人未遂に該る公訴事実に対し、被告人は爆発物を使用せんとしたさい官に発覚し、殺人の予備をなすにとどまつた旨の事実を認定したが、右は証拠の評価を誤つて事実を誤認したものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れないと主張するにあるが、所論に徴して記録並びに原審において取り調べた各証拠を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して種々検討を加えても、一部当裁判所においても所論と見解を同じくする点もないわけではないが、結局、原判決には、明らかに判決に影響を及ぼすような事実の誤認があるとはいえない。
以下概ね論旨の順序に従つてこれに対する当裁判所の見解を示し、右のごとき結論に到達した理由を述べる。
一所論は理由の一として(趣意書七ページから一九ページまで)、(1)被告人はダイナマイト発破の経験知識を十分に持つており、本件犯行の計画を緻密慎重に仕組んだものであること。(2)被告人はキッチンタイマー(以下、タイマーという。)の構造、操作方法を十分理解していたこと。(3)被告人の犯行後の動作、態度は極めて冷静であつたことの三点を挙げ、かかる情況を総合して考察すれば、原判示ダイナマイトの爆発(以下、本件爆発という。)が被告人の過失によるものとは到底考えられず、故意に基づく爆発であると断ずるに十分であると主張する。
1 なるほど、所論指摘の各証拠、その他記録によれば、被告人は、所論のごとく相馬国男の許でダイナマイトによる発破作業に従事したことがあり、ダイナマイトの危険性、導火線の燃焼速度についても相当正確な知識を有していたこと、本件犯行についても、ダイナマイト、雷管、導火線、バッテリー、タイマー等、時限式によるダイナマイトの爆発装置に必要な器材の入手に努めるとともにその時限式爆発装置について研究していたこと、その他、身代り人の物色、本田弘(以下本田という。)に対する種々の説得並びに工作の状況は所論指摘のとおりであり、原判示タイマーの必要な構造、操作方法についても、これを理解していたものと認められることもまた、所論のとおりである。しかし、いかに被告人がダイナマイト発破の経験を有し、あるいはこれに習熟していたとしても、本件タイマーのごとき時計を媒介とした爆発経験があつたとの証拠は全くなく(自宅二階で目覚し時計を利用し、導火線に点火させる実験をしたことは認められる。)、本件タイマーの必要な構造、操作方法はこれを理解していたとしても、ただ、これを原理的に理解していたと認められるに過ぎず、その取扱いに十分習熟していたと認めるに足る証拠はない。かえつて、各証拠によれば、被告人が日立市内で本件タイマーを入手したのは被告人が本件犯行を企てて日立市から母親とともに上京した昭和四二年(以下、月日は総て昭和四二年を指す。)二月一三日のことであり、同日は母親とともに一旦姉の家に立ち寄つたが、その夜は小林久美子(以下、久美子という。)とともに上野の松丘於館に一泊し、翌一四日は、被告人の指示によつて上京した本田と落ち合い、以後同人および久美子と行動をともにして原判示東京観光ホテルに投宿し、同夜は、ともに外出した本田が途中で別れ、たまたま友人宅に外泊するに至つたため久美子と二人だけになつたが、翌朝、本田が右ホテルに帰つてきたため、以後再び同人と行動をともにして、同日夕刻、原判示東京国際空港内日本空港ビルディング株式会社国内線出発ロビー(以下、空港ロビーという。)に至つたものであることが明らかであり、かつ、被告人は、本田に対してはもちろん、久美子に対しても本件犯行の計画はこれを秘匿していたものであるところ、その間、被告人が他人の目を盗んで本件タイマーの取扱いをなしうる時間は、右松丘於館における久美子の入浴中あるいは就寝後と、右ホテルにおいて本田の帰りを待つている間ぐらいのものであり、しかも、右ホテルでは、当初、本田が帰つてくる筈のものを、なんの連絡もなく、たまたま外泊するに至つたもので被告人はその帰りを待つていたものであるから、被告人において、直接本件タイマーを利用しての爆発装置について実験らしい実験をするような余裕は、時間的にも精神的にも、殆んどなかつたというにひとしく、到底、その取扱いに習熟していたなどといいうる情況ではなかつたといわざるをえない。してみれば、被告人が本件のごとき大事の実行に着手するにさいし、原判示のごとく本件タイマーの操作を誤り、緻密周到な計画も一瞬にして破綻を招くがごときことも決してありえないことではない。
2 また、所論は、被告人の本件犯行後の状況を指摘し、その動作、態度は冷静であり、いささかも事態の急変に狼狽した形跡がないのは、まさに本件爆発が、「被告人の筋書どおりの出来事」であることを裏づける証左であると主張する。
なるほど各証拠によれば、所論も指摘するように、被告人は原判示洋式大便所(以下、洋式トイレという。)から逃げ出すにさいし、原判示便所(大便所、小便所、洗面所等から成る一画をいう。以下同じ。)内に居ることを予期していた筈の本田に声をかけることもせず、また、洋式トイレから逃げ出す状況も格別駈足というわけでもなく、その後、空港ロビーの食堂で待つていた久美子の許に戻つて同女から本田のことを尋ねられたさいにも、種々虚言を弄して本田が便所内にいたことを秘匿していたことは、いずれも所論のとおりであるが、被告人が洋式トイレを出るさいの状況について供述している本田の原審証言によつても、「被告人は首をまげないで横目で私を見た」とか、「横目でちよつと私を見たような感じがしたけど、私を見なかつた」と供述する程度のものであり、また、原審検証調書における本田の指示説明によつて認められる便所内における同人の移動経路(同人は被告人が洋式トイレにはいつている間、その前等をぶらぶらしていた。)と各実況見分調書によつて認められる洋式トイレのドアの状況とを対比して考察すれば、被告人が洋式トイレから脱出するさいの本田の位置いかんによつては、本田も言うように被告人が首をまわさない限り、ドアの陰になるなどして本田を確認しえない状況にならないとも限らない。さすれば、本田の姿が目にとまつたがために声をかけなかつた旨の被告人の弁解も一概に理由がないともいえない。しかし、本田の姿が目にはいると否とはかかわりなく、自ら本田を便所内に伴つた被告人において、本田がその附近にいることは当然予測しうることであり、のみならず、前記のごとく、その直後久美子から本田のことを尋ねられてその動静につき虚言を弄するがごときは、もし、それ、本件爆発が被告人の予期しない事態とすれば、一見、不自然のごとくでもあるが、そもそも、被告人は、本件犯行の計画のごときは、当の相手である本田はもちろん、久美子に対しても一切これを秘匿していたものであり、かかる計画を抱いていた事実が発覚するにおいては、同人ら、とくに本田から、厳しくその非を追及されることは自明の理というべきである。してみれば、本件爆発が原判示のごとく過失によるものにせよ、あるいは被告人の故意によるものにせよ、爆発によつて自己の生命の危険が差し迫り、かつ自己の発覚する危険も目前に迫つている以上、被告人としては速やかに犯行場所ないし本田の許から逃避し、久美子に対してもこれをいんぺいせんとして虚言を弄するがごときはなんら不自然なことではない。また、所論にいわゆる被告人の平静も、他を欺くための単なる外見上のものとも考えられないわけではなく、畢竟、所論指摘の犯行後の情況のごときは、被告人の心情いかんによつてはいずれとも解しうるところであり、とつてもつて原判決を覆えすには足りない。
二所論は理由の二として(趣意書一九ページから二三ページまで)、原判決のごとく本件爆発が過失によつて生じたものと認定するのは不自然であるとし、もし、原判示のとおりだとすれば、原判示バッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者が連結していなければならないところ、原判決もまたその旨事実を認定しているが、かかる事実の認定は誤りであると主張する。
なるほど、証拠中には、原判決の該認定事実にそのような被告人の捜査官に対する供述調書あるいは原審公判廷における供述も存するが、バッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者が連結されていたものとすれば、たとえ原判決がいうようにタイマー左下部のセットつまみが右に廻されてセットされ(この様にしておけば、電流を通じさせようとする時刻を指示する針の示す時刻と時計の時刻とが一致しない限り、電流は通じないから、一応、安全装置の役目をなしている。)、かつ、時計のぜんまいが巻かれていないため時計が動いておらず、指示針もいまだ合わされていなかつたとしても、被告人は右装置をビニール製の黒鞄に入れて運搬したというにあるところ、右黒鞄は内容物によつて形の変る柔いものであり(押収してある類似品である黒色エレガントビニール製鞄、当庁昭和四三年押第一五九号の九三参照)また、右セットつまみはタイマーの表面から約一センチ凸出したつまみで、これを軽く押すだけで容易にセットが外れ、指示針の位置いかんにかかわらず、直ちに電流が通ずるに至るものであるから(押収してある本件タイマーと同型のタイマー、前同号の一八参照)、被告人らの運搬の途中、右セットつまみが鞄に強く触れ、あるいは鞄が何かに押されてつまみをも押すようになつた場合には、直ちにバッテリーの電流が通じて本件ダイナマイトの爆発を招く危険性の存したことは所論のとおりであり、しかるに、原判決も自らいうように、そして、被告人あるいは本田さらに久美子の捜査官に対する各供述調書または同人らの原審供述あるいは各証言を通じてみても、たとえば、一台のタクシーの後部座席に三人並んで乗車し、相当の距離を走つて原判示国際空港に至るまでの間、右黒鞄をあるいは被告人または本田の膝の上に置いたり、あるいは本田の足許に放置して置いたりする等、その取扱いについて格別の注意を払つた形跡も窺いえないことに徴すれば、余人は知らず、前記のごとくダイナマイトの危険性を熟知し、原理的にせよタイマーの構造を承知していた被告人の行動としては極めて不自然といわざるをえず、前記東京観光ホテルで時限爆発装置を作成した旨の被告人の原審供述等は到底措信することができない。なお、被告人は、当公判廷において、バッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者は連結していなかつた旨供述するかと思うと忽ち前言を翻し、連結はしていたが、タイマーに枠をはめていたので運搬の途中にセットつまみが押される危険はなかつたなど従前とは全く異る供述をなして首尾一貫せず、右供述もまた、到底、そのまま信用することはできない。他に被告人が原判示のごとくバッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者を連結したまま洋式トイレに持ちこんだとの事実を認めるに足る証拠はなく、むしろ、前示のごとく右三者を連結した場合の危険性あるいはその運搬状況に照らせば、本件犯行の前夜までに、時限爆発装置に必要な一部の工作をなしていたかどうかはともかく、タイマーのセットつまみを押しさえすれば直ちにダイナマイトが爆発するような、バッテリー、タイマー、ダイナマイトの完全な連結はなされていなかつたものと認めるのが相当であり、そうだとすれば、原判決は、この点、事実を誤認したものというべきは所論のとおりである。しかし、原判決といえども、被告人が右のごとくバッテリー等の三者を完全に連結した装置を黒鞄から取り出すにさいし、その黒鞄を自己の膝にはさむなどしてタイマーのセットつまみを押す結果を招いたとの被告人の弁解は、結局措信できないとして排斥しているし、また原判示の本件犯罪事実全体からみれば、その誤りは重要な誤りとはいえないので、結局、その誤りは明らかに判決に影響を及ぼすものとは認めがたい。ところで、被告人が洋式トイレにはいるにさいしては、右のようにバッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者がいまだ完全には連結していなかつたのではあるが、そのことから、直ちに、所論のごとく、本件爆発が被告人の故意によるものと速断することは許されない。けだし、被告人がバッテリー等の前示三者を連結しない状態で洋式トイレにはいつたのであるから、自己の計画を遂行するためには、当然、右三者を連結する等時限装置のための作業が残されていることとなり、そのさい、とくにタイマーの操作段階において、たとえば、タイマーのセットつまみを右に廻したうえ時計の針を動かそうとしても、本件の場合には、時計の長短針のほか、時限装置のための指針をも動かさねばならないのであるから、そのいずれかを動かす過程において両者の針が重なり合つてセットが外れるとか、あるいは、いまだ時計のぜんまいを廻していないため時計が動いていないということから錯覚に陥り、セットつまみを右に廻さないままタイマーやバッテリーを連結し、あるいは、セットつまみを右に廻したうえで三者を連結したとしても、他の操作中に誤つてセットつまみを他のものに触れさせることも考えられないわけではなく、それ以外にも、前記のごとく本件タイマーの取扱いに必ずしも十分に習熟していたとは認めがたい被告人であり、かつ、いかに極悪非道の計画を立てた被告人であつても、当の相手を身近にして、いよいよその実行に着手せんとする緊迫感の中において、自己の爆死すら招きかねない危険な操作をなすともなれば、その緊張と焦慮の余り、かえつて思わぬ操作の誤りを招くことも決して考えられないわけではない。さすれば、被告人が誤つて本件爆発を招いたものと認定することが、所論のごとく必ずしも不自然な事実であるということはできない。
三つぎに所論は、理由の三として(趣意書二三ページから八五ページまで)、被告人が各捜査官に対し、あるいは原審第一回公判廷において、たばこの火で導火線に点火して自ら本件ダイナマイトを爆発させた旨の供述は信憑性がある旨、縷々主張する。
しかし、所論に徴して検討してみても、被告人の本件に関する供述については、後記一部の点を除いては、概ね、原判決の説示するとおりであり、その結論は当裁判所においても正当としてこれを是認するに足る。
1 すなわち、被告人の供述の変遷を記録によつてみるに、被告人は、司法警察員に対し、
イ 二月二五日の取調においては、一旦は、本件爆発自体になんらの関係がない旨弁解しながら、再度の取調においては、原判示洋式トイレにおいて前記黒鞄のチャックを開けたところ「シュー」という音がしたのでトイレから逃げ出した旨供述するかと思えば、他においては「たばこの火で点火して爆発させたと思うが思い出せない」旨供述し、その趣旨、過失による爆発を供述せんとするものか、あるいは故意の爆発なる旨供述せんとするものか、首尾一貫しない。
ロ しかるに、二月二七日の取調においては、「今日は本当のことを言う」旨前提し、初めて、タイマーを使用しての時限式爆発であることを供述しているが、雷管は工事現場から盗んだ電気雷管であるとか、電波は普通の懐中電燈に使用する電池二個を使用したなど、後日自らも訂正し、他の証拠によつても明らかに虚偽の事実と認められる供述をなすとともに、本件爆発の原因については、タイマーの時計の針を分針の二、三分前にして便器の上に置いたなど、恰も、二、三分の時間の経過によつて時限式に本件ダイナマイトを爆発させたがごとき供述をなしている。
ハ ところが、三月一日の取調にさいしては、「前回の供述は嘘である」旨前提し、前述の電気雷管は工業用雷管であつた旨訂正するとともに、前回の時限式爆発の事実を否定し、本件ダイナマイトの爆発方法については明日話す旨供述してその説明をなしていない。
ニ しかし、その爆発方法は、その翌日も明らかにされず、三月三日の取調に及び、爆発装置は洋式トイレのの中で作成した旨、すなわち、右トイレの中で導火線を約一〇センチメートルに切つてその一端を雷管にはさみ、これをダイナマイトの一本に埋めたうえ、他の端をカミソリの刃で切り開き、そこにたばこの火で点火して爆発させたと供述するに至つたが、他方、爆発の目的については本田殺害の犯意を否定し、同人が便所内に居るかどうかもわからなかつた旨供述している。
ホ ところが、三月四日の取調にさいしては、初めて、本田殺害の意図を抱いていたことを自白するとともに、前回と同旨の爆発方法を詳細に供述し、なお、洋式トイレの中で爆発させた理由について、洋式トイレにはいるまではどこで爆発させて本田を殺害するか決めていなかつたが、洋式トイレで爆発装置(時限装置ではない。)を作つている間に、後に言及するように、うしろのトイレに人のはいつた物音を聞いて、本田がトイレにはいつたものと思い、今やつた方がよいと思つてたばこの火で点火した旨供述している。
ヘ 三月五日、三月七日の取調にさいしても爆発方法については右三月四日の供述と同旨の供述をなしているが、三月九日の取調にさいし、本件タイマーを利用して時限式にし、飛行機内でダイナマイトを爆発させて本田を殺害する計画であつたことを初めて明らかにした。しかし、電気雷管が入手できなかつたのでその方法によることはできなかつたとか、本件タイマーを購入したのち時限式の工作をしたこともない旨、その実行についてはこれを否定し、なお、入手したダイナマイトの本数は五本ではなく七本であつた旨訂正したが、三月一四日の取調にさいしては、再び、ダイナマイトの本数を従前の五本に訂正している。
ト そして、三月一五日の取調にさいしては、従前供述してきた犯行の態様を大きく覆えし、二月一四日の夜、東京観光ホテルにおいてバッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者を連結して未完成ながら時限装置を作成したこと、右バッテリーは日立市内において盗んだ単車のバッテリーであること、および洋式トイレの中で右時限装置を完成させようと考え、黒鞄を膝ではさんださい、誤つてタイマーのセットのつまみを押したらしく、中から煙が出てきたのでトイレの外に逃げ出した旨供述し、従前のたばこの火による点火を全く否定するに至つた。
2 ところが、被告人は、同日午後からと、翌三月一六日の二回にわたる検察官の取調に対しては、当初、三月一五日に司法警察員に対して供述したと同旨の供述をなしたごとくであるが、取調検察官から、タイマーのセットつまみを押しても電流が通じないことがあるなどと言つて追及された結果、結局、洋式トイレにはいるまでの状況、とくに時限装置の作成状況については右三月一五日の司法警察員調書と同旨の事実を供述しながら、洋式トイレ内の行動としては、これを前提としながらも、タイマーからバッテリー等をはずし、導火線の先に針金をつけて電気の両極につないでいた装置を取り除き、導火線の先にたばこの火で点点して爆発させた旨、従前警察においてなしたたばこの火による点火方法とも異る全く別個の犯行態様を供述するに至り、なお、飛行機内における爆発計画を便所の中で実行することに変更したのは、予定していた名古屋行の飛行機便がなく、本田の行先を大阪に変更したことによつて、本田が何となく自分を疑いはじめたようなので、計画を変更したものである旨説明している。
3 以上摘示したところからも明らかなとおり、被告人の捜査官に対する各供述は度々変遷してその真意を捕捉しがたいのみならず、それらの供述は本田の動静等同人との関連において供述されているところ、同人の捜査官に対する各供述調書あるいは原審証言と対比してもそのまま措信するに由なく、畢竟、被告人の捜査官に対する各供述調書は虚実混淆の供述というほかなく、本件ダイナマイトの爆発方法のごとき最も重要な事項については、とつてもつて断罪の資料とするには少なからぬ躊躇を感ぜざるをえない。そして、被告人は、原審第三回および第一二回公判廷において、右のごとく供述の変遷した理由として「当初、時限式ということをかくしておきたかつた」旨弁解しているところ、このことは、原判決も説示しているとおり、本件爆発の時限装置に利用したと認められるバッテリーの存在が、三月一三、四日ころに至つて、他の証拠上、初めて警察に確認されるに至り、被告人もまた前記のごとく、三月一五日の取調において初めてその事実を供述するに至つた経緯に照らしても強ち理由のない弁解とはいいがたい。この点について所論は、原判決が、捜査当局は当初、本件犯行がバッテリー等電気的な器材を用いての犯行であることをむしろ否定する見解に立つて被告人を取り調べた傾向がないではなく、被告人はこれを奇貨として時限式装置を否定する供述をなしていた旨説示する点を評し、余りにもうがち過ぎた見解であるというが、捜査官の見解についてはともかく、前記のバッテリーについては三月一三、四日ころまでは確認されなかつたごとくであるから(アタッシュケースのしみに関する三月二〇日付鑑定書の基礎となつた鑑定嘱託は三月一三日になされていること等参照)、この点についての警察の取調にもおのずから緩急の差を生ずるはみやすき道理であり、被告人においてこれを秘匿したいと考える以上、その取調状況に便乗して秘匿を試みることもまた、容易に推察しうるところである。しかして、バッテリーを使用した時限装置を秘匿しても、洋式トイレ内における本件爆発が被告人との関連のあることは証拠上動かしえない事実として被告人もこれを認めざるをえなかつた以上、なんらかの爆発原因について説明せざるをえず、当初、警察の取調にさいして捜査官から、いつもはどうして爆発させていたかと発問されたのに対し(かかる発問のあつた事実は、前記二月二五日付供述調書の記載自体から推認される。)、たばこの火で点火していた旨供述したことから、以後、本件にさいしてもたばこの火で点火した旨の供述をなすに至つたものと推認しうる余地が多分に存在する。そうだとすれば、警察においてなした被告人の「たばこの火による点火」との自白は甚だ信用しがたいものといわざるをえない。そして、その自白は、前記のごとく三月一五日の警察の取調において否定されたが、同日新たになした自白は、前記のごとく、二月一四日夜東京観光ホテルにおいて時限装置を作成し、これを黒鞄の中に入れて空港内に持ちこんだ事実を前提とするところ、該事実についてはこれを信用できないことはさきに説示したとおりであるから、右三月一五日付の司法警察員に対する供述調書における爆発原因に関する自白もまた、信用できない。
4 所論は、前記被告人の検察官に対する各供述調書はとくに信憑性がある旨主張する。
しかし、本件爆発原因についての検察官の取調過程においては、前記のごとく、タイマーのセットつまみを押しても電流が通じないことがある旨、本件タイマーの構造上、およそ稀有の事例ともいうべき例外的事実を告げて被告人に反応を試みるなど、尋問方法の当否についても多大の論議を招く余地を残すのみならず、その点は措くとしても、右供述調書における被告人の供述内容は、前記のごとく洋式トイレにはいるまでの時限装置の状況については、さきに当裁判所が信用できない旨説示し、かつ、所論もまた信用できないと主張している三月一五日付の司法警察員に対する供述調書と全く同旨の供述をなし、これを前提として、たとえば、タイマーからバッテリーの線を抜いたとか、あるいは、導火線の先につけておいた針金をとるためにビニールテープを剥がしたなどの行動状況を供述しているものであるところ、それがいかに所論のごとく詳細かつ具体的なものであろうとも、また、体験者にして初めて供述しうるような行動状況(それほどの特殊な状況とも解しがたいが。)の外観を呈するとしても、かかる供述はタイマー、ダイナマイト、バッテリー三者連結の右前提事実があつてこそ初めて首肯しうるものであり、しかるに該前提事実が、所論もいうように措信できないものとすれば、これとの関連においてなされた洋式トイレ内における行動状況の供述が何故に措信するに足りるか、これを理解するに苦しまざるをえない。してみれば、被告人が検察官の取調に対し、結局は、たばこの火で導火線に点火した旨供述しているからといつて、その自白が格段に信憑性が高いなどとは到底いいうる限りのものものでないことは、後記四において説示するところの他の客観的情況との関連をまつまでもなく、明白といわざるをえない。
5 なお、被告人は、以上のような各捜査官の取調に対し、たばこの火で導火線に点火したこと自体については、比較的多数回にわたつて供述しているところから、他の点はともかく、たばこの火で点火したこと自体は誤りでないとの見解もありうるであろうが、該供述部分といえども、すべて、他の情況との関連において供述しているものであり、その関連においてのみ理解すべきものであるから、かかる情況を捨象して、ただ「たばこの火で点火した」との供述部分のみをとつて論議の対象とするのは相当ではなく、のみならず、「たばこの火で点火した」との供述自体、当初司法警察員に対しては空港ロビーの食堂から喫つていたたばこの火で点火したというにあつたところ(三月三日付供述調書参照)、その後検察官に対しては、洋式トイレの中でハイライトにマッチで火をつけ、そのたばこの火で導火線に点火した旨供述して(この供述の変化は、たばこの火の持続時間を参酌しての取調によるものと推認される。((三月一六日に右持続時間を実験した旨の三月一七日付司法警察員作成の捜査報告書参照))。)、一貫性を欠くことをも考慮に入れれば、捜査官に対する各供述調書中、少なくとも「たばこの火で点火した」との供述部分のみは信用できるものとするのは、相当でないといわざるをえない。
四1 所論(第一の三(四)のうち1、2)は、原判決が、被告人において当初の予定を変更し、空港内の洋式トイレにおいて本田殺害の実行をなすべき切迫した事情の変更があつたとは認めがたい旨説示している点を捉え、右は関係証拠の評価を誤つて事実を誤認したものであるとし、被告人が当初予定していた名古屋行の飛行便がなくなつていたため、急遽、計画を大阪行の飛行機に変更したさいの本田の態度と被告人の心理を被告人が空港便所にはいつた目的、行動との関連において把握し、考察するならばその誤りは明白であると主張する。
しかし、所論指摘の供述部分等、本田の捜査官に対する各供述調書あるは原審各証言を仔細に検討してみても、本田は、被告人から依頼されていた名古屋行が大阪行に変更されたことを意外に思うとともに、従前、被告人から聞かされていた飛行機搭乗の目的等、いわゆる仕事の内容と対比して、一応、不審の念を抱いたであろうことは容易に推認されるのみならず、内心、場合によつては、被告人の依頼を断りたいとの気持もあつたであろうこともまた推認できないわけではないが、一方、本田は、被告人に誘われて空港内の便所に赴いたさいにも、いまだ鞄の運搬を断るまでの決心はついておらず、したがつて、そのことを明白に被告人に対して申し出た形跡も窺いえない。もつとも、本田は原審において、「行きたくないような恰好をした」旨証言しているが、もともと被告人が本田を自己の身代りとして運び、原判示のごとく上京させて空港に伴うまでの被告人の本田に対する説得ないし勧誘の状況をみると、本田においても幾多疑念をさしはさむ点があつたのであり、したがつて、本田は心底から釈然とし、喜んで被告人の頼みを引き受けたものではなく、被告人は、いわば強引に本田を納得させていたものであるから、本田において余り気乗りしない態度を示していたのは当初からのことであり、前記のごとく名古屋行を大阪行に変更されたさい、本田が自ら言うごとく「行きたくない恰好をした」としても、それが被告人をして所論のごとく「内心の動揺」を感じさせ、爆発計画の変更を余儀なくさせるような程度のものであつたとは認めがたい。
なるほど、所論も指摘するように、本田は、司法警察員の取調に対し、被告人から行先の変更を告げられたさい、「話が違うじゃないか、とくつてかかつた」とか「そんなことなら行かないと言つた」(二月一六日付)とか、あるいは、「仕事の内容もわからず、鞄の中のものを詳しく教えてくれないし、そんなとこに行くのは嫌だとごねた」(二月二〇日付)など、被告人に対して相当明確に自己の意思を伝え、大阪行を拒否するような言動をなした趣旨の供述をしているが、原審および当審における本田の各証言の内容並びに当裁判所が直接見聞した同人の供述態度等から窺われる同人の性格は、優柔不断というべきか、あるいは内気、小心というべきか、いずれにせよ、被告人に対して右供述部分のような言動を端的にとりうるような強い性格とは認めがたく、さすれば、本田が司法警察員に対して右のような供述をなしたとしても、該供述は、原判決もいうように、被害直後における被害感情を契機とし、被告人も居合わせないのを奇貨として、初めて、捜査官に対し自己の抱いていた不満、不審、欲求をあからさまに表明しえたものに過ぎないと解する余地が多分に存する。してみれば、本田の司法警察員に対する各供述調書中に前記のような供述部分が存するからといつて、そのままの言動が直接被告人に対してとられたものとは到底認めがたい。このことは、被告人に対して飛行機の搭乗券を売つた全日空の職員である久末倶夫が司法警察員に対し、そのさいの状況を「(被告人と本田の)二人は親しそうに、ごく自然に、静かに話していた」と供述していることに照らしても明らかである。
2 所論(第一の三(四)の3)はまた、原判決が、いまだ本田と服も取り替えない段階で被告人が本田を爆殺しても、被告人としては、自己の身代りに本田を殺害するという所期の目的は達しえないのではないかとの疑念を提起している点につき、一応無理からぬ疑問としながらも、第三者が事後に判断する場合とは異り、冷静さを欠いていた被告人として、自己の計画が発覚したものと思い、とつさに便所内における本田殺害を決意することは十分ありうることであるとか、あるいは、もし本田が爆死して被告人が逃走すれば、大阪行飛行機の搭乗申込者名簿には青野淳の名前があるのに該飛行機には該当者が搭乗しておらず、かつ、爆死者が青野淳名義で搭乗申込をなした者と人相、髪型が酷似しているところから、青野淳と誤認される蓋然性が大きいから、自己の身代り殺人という被告人の所期の目的も達成される筈であると主張する。
しかし前記1のごとく、名古屋行が大阪行に変つたさいにも、本田の態度には、被告人が計画の変更を決意しなければならない程の急変があつたとは認めがたいのであるから、そのために被告人が冷静さを欠くに至つたとも認めがたいし、また、本田に服装を変えさせる以前であつても所期の目的は達しえた筈であるとの所論については、そもそも被告人が時限式による本田爆殺を企図した契機は、当時相次いで発生した飛行機の墜落事故のさい、搭乗者の遺体がばらばらになり、ただたの着衣、所持品等により、辛うじて身許を確認しうるような状況であつたことに着眼したものであることは証拠上明白であり、そうだとすれば、本田に自己の着衣を着せることが最も重要なことであるにかかわらず、とつさの間に、果して所論にいうがごとき複雑な困果の関係に思い及ぶことができたか、極めて疑間の存するところであり、所論のごとき推論こそ、かえつて第三者が事後においてめぐらす臆測に過ぎないとの譏りを免れがたい。
3 つぎに所論(第一の三の(五))は、本田が洋式トイレの前で被告人がビニールテープを剥ぐ音を聞いた旨の同人の証言等につき、原判決が、それは単なる聴覚によるものであり、また大久保真也の証言とも異なるので、それが果してビニールテープを剥ぐ音であつたか疑いがあり、本件爆発が被告人の故意によるものであることを立証拠する証拠とすることはできない旨判断しているのは証拠の評価を誤つたものである旨主張する。
なるほど、所論に徴して本田の捜査官に対する各供述調書並びに原審各証言を検討すれば、右の点に関する同人の供述は十分信用するに足るものというべく、それが単なる聴覚によるとか、あるいは、洋式トイレの隣にある和式トイレに居た大久保真也の聞いた物音と異なるからといつてその信憑性を否定するのは相当でない。そして、一方、大久保真也の証言もまた、なんらその信憑性を否定する理由がなく、要するに、本田および大久保の両名は、それぞれ異る物音について証言しているものと解すれば、そのくいちがいもなんら不合理をもつて目すべきものではない。したがつて、この点に関する当裁判所の見解は、原判決といささかその趣旨を異にするが、しかし、そうだとしても、そのことから、本件爆発が被告人の故意によるものであるとの所論を支持することはできない。けだし、所論も先に主張し、当裁判所もまたこれを認めたがごとく、被告人が洋式トイレにはいつたさいには、時限爆発装置となるべきバッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者はいまだ連結されない状態にあつたのであるから、そうだとすれば、本田が耳にしたというビニールテープを剥ぐ音というのは、所論のごとく一旦導火線等に巻きつけられていたテープを剥ぐ音ではなく(なお、このようなテープは固着されているから、とつさの間にこれを剥ぐというのは容易なことではないことも併せ考えるべきであろう。)、時限装置作成のため、アタッシュケースに入れておいた未使用のビニールテープを引き剥がす音と解されるし、また、大久保が耳にしたという、弁当の包みを開くようなガサガサという紙の音とは、ダイナマイトに雷管をさしこむためにダイナマイトそのものの包装紙を開くか、あるいは、相馬国男の司法警察員に対する供述調書(三月一〇日付、謄本)によれば、被告人に渡した本件ダイナマイトは新聞紙に包んで渡したというにあるから、被告人がその全部または一部を包みのまま携行していたとすれば、その新聞包みを開いてダイナマイトを取り出すさいの紙の音とも解される。畢竟、本田が洋式トイレの前で聞いたというビニールテープの音をもつて、本件爆発が被告人の故意によることし証左となしえない旨の原判決の結論に誤りがあるとはいいがたい。
4 所論(第一の三の(六))は、原判決が、被告人の「うしろのトイレに人がはいつた物音を聞き、本田がトイレにはいつたものと思つてトイレ内の爆殺を決意した」旨の自白につき、うしろのトイレから出て行つた大久保真也の足音を本田がはいつた物音と聞き違えること自体容易に肯けないのみならず、人の出入の多い空港便所において、本田に声をかける等、これを確かめることもせずにただ足音だけで本田と速断し、同人殺害の企図を実行に移すがごときは事理に反して不自然である旨判断したのに対し、冷静さを欠いていた被告人としては、かかる聞き違いもありうる旨主張する。
しかし、被告人の右供述がなされたのは、記録上、司法警察員に対する三月四日付供述調書が初めてのごとくであるが、右供述調書の記載によつても、本田がはいつたと思つたというトイレについては単に「うしろの便所」とあるだけで被告人の使用していた洋式トイレの直後の便所(すなわち、大久保真也が使用中のもの)を指すものとはいえないのであつて、このことは、該調書の基礎となつた取調の状況を録音したテープによれば、被告人の供述を聞いた後の捜査官の質問中に「本田が、うしろに、その―、二番目。二番目かどうかわからんけれども、洋式便所のうしろのところへはいつたと思つたのか。」(テープ裏面、最初の声から一二〇附近)との録音部分があり、被告人も捜査官も、二番目のトイレ(すなわち、洋式トイレの次のトイレ)とは特定していないことからも窺われる。さらに、同録音テープには、捜査官と被告人との問答として「本田はそのとき、どこに居た」「表に最初待つていろと言つたが、うしろにはいつた。いや、人違いだつたけんどよ。結局」「どうして人違いだつたとわかつた」「いや、あの、おれ捕つて、全日空の人だつて聞いて。云々」なる部分(テープ裏面、最初の声から九八、九九附近)があることに徴すれば、被告人が供述しているのは、洋式トイレの次の和式トイレから出て行つた大久保真也の動静についてではなく、被告人が洋式トイレにはいつたのち一番手前の和式トイレ(和式トイレのうしろのうしろ)にはいつており、本件爆破によつて重傷を負つた全日空の職員松岡孝のことを供述していることが明白である(なお、トイレに入つた順序については、大久保真也、松岡孝の捜査官に対する各供述調書中、トイレのドアの開閉状況および物音等を対比すれば、大久保、被告人、松岡の順に入り、その後大久保、被告人の順に出たことになる。また、大久保が捜査線上に出たのは被告人の右自白後の三月七日のごとくであるから、録音にいわゆる「全日空の人」が同人を指すものとはいえない。)。そうだとすれば、被告人は、松岡孝がトイレにはいる音をまさしくはいる音と聞いたものであつて出る音を聞き違えたものではなく、この点、原判決並びに所論は、ともにその前提を誤つて無用の論議をなしているものといわざるをえない。
しかしながら、翻つて右録音テープ並びに被告人の司法警察員に対する三月四日付供述調書をみるに、被告人は、トイレにはいる音を聞いて、本田が「服を替えるため」便所にはいつたと思つたと供述しているが、当時、本田が着替えるべき服を所持していなかつたことは被告人においても熟知していた筈であるから、右のごとく推測した旨の被告人の供述は明らかに不合理であり、かりに本田がはいつたものと考えたにせよ、なんらこれを確かめることもせず、急遽計画を変更して直ちに本田爆殺の大事を決行に移すがごときは明らかに不合理かつ不自然というべきは原判決の指摘するとおりであるから、右被告人の自白は到底信を措くに足りない。
5 所論(第一の三の(七))は、原判決が導火線の長さに関連して本件公訴事実に疑いをさしはさんでいることにつき理由がない旨主張する。しかし、各証拠によれば、被告人はダイナマイト発破の経験があるだけに、その危険性を承知し、導火線の燃焼速度についても、一応、経験的に承知していたものと認められること、並びに、発破経験者の感覚として相馬国男が検察官に供述しているところ(三月九日付および同月二二日付各供述調書謄本参照)に照らしても、原判決の疑問ないし説示は首肯できるところである。
6 所論(第一の三の(八))は、被告人が原審第一回公判廷において本件被告事件につき、そのとおり相違ない旨陳述している点を挙げ、被告人がたばこの火で導火線に点火してダイナマイトを爆発させたことの真実なるゆえんを強調する。そして、原審第一二回公判調書によれば、被告人は第一回公判期日前、あるいは同公判期日の開廷前、弁護人から「ボッチ(前記タイマーのセットつまみの意)で火がついたということも十分考える余地があるから、それが真実ならそれにしたらどうか」と言われたにもかかわらず、結局、弁護人に対しても「たばこで火をつけたことに間違いないから認める」旨答えて右第一回公判期日の陳述に及んだものであることは所論のとおりと認められる。しかし、被告人は、原審の右第一二回公判廷においては、時限装置による飛行中の爆殺計画は秘匿しておきたかつた旨供述しているのであるから、そうだとすれば、いきおい、たばこの火による点火を認めざるをえなくなることもすでに説明したとおりである。のみならず、被告人の供述は、ひとり捜査官に対する供述に限らず、公判廷における供述といえども直ちに措信できない部分が多々あり、当公判廷においても、当初弁護人の質問に対し、洋式トイレにはいつたさいにはバッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者はいまだ連結していなかつた旨供述し、それを基礎として一応の説明をするかと思えば、忽ちこれを撤回し、検察官に質問されるや、右三者は連結してあつたが、タイマーに枠をはめていたので運搬途中に誤つてセットつまみを押す危険はなく、本件爆発は、恐らく、洋式トイレ内で右枠を取り外すさい、誤つてセットつまみに触れたものであろうなどと全く新たな供述をなし、さらに裁判所から右供述の変更につき説明を求められるや、「本当のことを言おうか、言うまいか、あやふやな気持であつた」と供述していることに徴すれば、被告人は、終始、右のごとく当公判廷に至るもなお、ひとり、なんらかの思惑あるいは利害の計算に基づいて、虚実混淆の供述をくり返している疑いが極めて濃く、所論指摘の原審第一回公判廷における陳述といえども決してその例外をなすものではないといわざるをえない。したがつて、所論のごとく被告人が公判廷においても自白し、かつ、その自白は、弁護人の説得をも斥けてなされたものであるからといつて、直ちに信憑性を認めるわけにはいかない。
五所論は理由の四(趣意書八九ページから九五ページまで)として、被告人の原審公判廷における供述の信用できない旨を縷々主張し、原判決は被告人の法廷供述によつて不当に影響されたものであると極論する。しかし、原判決といえども、その総べてを信用したものでないことはその判文上明白なところであり、当裁判所の見解もすでに他の所論について判断を示したところから明白である。
所論はまた、右理由の四から五(趣意書九五ページから九八ページまで)にわたり、かりに本件爆発が被告人のたばこの火によつて爆発させられたものと認めるに足る証拠がないものとしても、少なくとも、被告人の故意によつて爆発させられたと認めるには証拠が十分であるから、そうだとすれば、犯行の具体的手段、方法が明らかでなくとも、被告人にその責任を問いうることは高裁判例の示すとおりであり、原判決が、直ちに過失による爆発と認定したのは誤りであると主張する。しかし、すでに説明したとおり、被告人が洋式トイレにはいるさいには、いまだ、時限装置となるべきバッテリー、タイマー、ダイナマイトの三者が完全に連結されていなかつたものと認むべきことは前述したとおりであるから、当然、洋式トイレ内において時限装置のための工作がなされたであろうことは容易に推認されるところではあるが、かかる工作の過程においても過失による爆発を疑うべき余地が存するであるから、本件爆発そのものが被告人の故意に出たものと速断することは許されない。
六以上の諸点のほか、各所論が指摘する諸般の情況にいて逐一検討を加え、あるいはこれを総合して按ずるも、上来説示したところからすでに明らかなとおり、原判示洋式トイレ内における被告人の行動に関する限り、被告人の捜査官に対する各供述調書並びに原審および当審公判廷における供述は一として全面的に信用するに足りるものはなく、いきおい、他の客観的な証拠によつてこれを推認せざるをえないところ、検察官の所論中には一部当裁判所と見解を同じくするものあり、したがつて、原判決における心証形成の過程についても、一部異論をさしはさむ余地がないではないが、判決に影響はなく、所論並びに検察官の全立証をもつてしても、原判決が提起している種々の疑問、とくに、被告人が飛行機内における爆発計画を急遽変更し、洋式トイレ内において本件ダイナマイトを爆発させて本田を殺害すべき理由あるいはその契機等、本件事実認定上決定的な欠陥ともいうべき点についての極めて合理的な疑いにつき、これを払拭するに足る証拠はついにこれを見出しがたい。そして、他に原判決の認定を覆えし、本件爆発が被告人のたばこの火によるものであるとか、あるいは、少なくとも被告人の故意によるものであるとの所論を肯認するに足る証拠もまたこれを発見しがたい。結局、従来説明したところから明らかなように、各証拠によれば、被告人は、原判示のごとく本田にダイナマイトの時限爆発装置を携行させて飛行機に搭乗させ、飛行機もろとも爆破墜落させて同人を殺害する目的をもつて原判示のごとくダイナマイト、タイマー、バッテリー、導火線等、右時限装置の作成に必要な器材を準備し、本田の行先を大阪に変更したのちも右計画を変更することなく、これを黒鞄に入れたまま原判示空港ロビーの洋式トイレにはいり、同所において、右タイマーにバッテリー、ダイナマイトを連結するなど、ダイナマイトの時限爆発装置の作成に着手したが、その操作中、誤つてバッテリーの電流をダイナマイトに装置した導火線に通じさせる結果を招くに至つたため、ダイナマイト五本が爆発したものと認めるのが相当であるから、畢竟、原判決には、冒頭記載のとおり、明らかに判決に影響を及ぼすがごとき事実の誤認はないものといわざるをえず、この点に関する論旨は理由がない。
第二被告人の控訴趣意中、事実誤認、審理不尽、理由不備を主張するとの部分について。
所論は、原判決には事実の誤認、審理不尽、理由不備の違法があると主張するが、要するに、被告人は、洋式トイレの中で、黒鞄の中から、タイマー、ダイナマイトを出したことはないのであるから(したがつて、それらの物を見た旨の本田の証言等は誤りである。)、原判決は過失の態様について事実を誤認したものであるというに帰する。
しかし、所論に徴して調査するも、洋式トイレの中、その入口ドア近くに本件タイマーを、またそのうしろに火薬性の発煙を各目撃した旨の本田の捜査官に対する各供述調書並びに原審証言(当審証言も同旨)はいずれも信用するに足り、これらの証拠と司法警察員作成の検証調書によつて明らかな爆発の痕跡から窺われる本件ダイナマイトのあつた位置とを総合して考察すれば、原判示のごとく、被告人は洋式トイレ内において黒鞄の中からタイマー、ダイナマイトなどを取り出し、予定の操作をしようとしたもの(もつとも検察官の論旨について説明したとおり、原判決が本件バッテリー、タイマー、ダイナマイトが順次連結されていた旨認定しているのは誤りであるので、これに伴い、黒鞄から出したさいのダイナマイトなどの状況および「予定の操作」の内容は若干原判決の趣旨と異なつてくるであろうが判決に影響はない。)と認めるのが相当である。なお、所論が指摘する本件爆発後の黒鞄の飛散ないし破損の状況については、本件の場合、爆発のさいダイナマイトが黒鞄の中にあつたか否かによつてその状況を異にするものでないことは四月一五日付鑑定書(六6(三)参照)によつて明らかであるから、右黒鞄の破損状況をもつて前記認定を左右することはできない。他に、原判決には、判決に影響を及ぼすような事実誤認の疑いのないことは検察官の論旨について判断したとおりであり、審理不尽、理由不備の違法ありとも認めがたいので、論旨は理由がない。
第三弁護人の控訴趣意第一点および被告人の控訴趣意中法令適用の誤りを主張する論旨について。
各所論は、原判決が被告人の原判示所為につき爆発物取締罰則第二条を適用したのは法令の解釈、適用を誤つたものであり、原判示のごとき事実については同罰則第三条を適用処断すべきであると主張する。
よつて按ずるに、爆発物取締罰則第二条は、同罰則第一条の目的をもつて「爆発物ヲ使用セントスルノ際発覚シタル者」を処罰の対象とする旨規定し、右第一条所定の爆発物の使用の実行に着手するもいまだ使用するに至らなかつた、いわゆる着手未遂罪を処罰する趣旨と解されるところ、ここに「爆発物の使用」とは爆発物を爆発すべき状態に置くことをいうものと解すべきであるから(大正七年五月二四日大審院判決、同院刑事判決録二一輯六二八ページ。昭和四二年二月二三日最高裁判所第一小法廷判決、同裁判所判例集第二一巻第一号((刑事))三一三ページ参照。)、かかる状態の作出に着手したる者はすなわち爆発物の使用に着手した者というに十分である。
そして、本件被告人の企図した原判示ダイナマイトの時限装置のごときは、一定の時間の経過により、自動的にダイナマイトに点火して爆発すべきものであるから、時限爆発装置が完成した以上は爆発物たるダイナマイトを使用したというに足り、したがつて、かかる装置の作成に着手した者はすなわち爆発物の使用に着手した者というべきである。
しかるに原判示事実によれば(先に説明したとおり、当裁判所は一部変更認定しているが、右変更認定した部分はこれによつて考えても)、被告人は、原判示のごとき目的をもつて、ダイナマイトの時限爆発装置の作成に着手したことが明らかであるから、これに対して前記罰則第二条を適用した原判決に所論のような法令適用の誤りがあるとはいえない。
各所論は、原判決が一方において殺人の予備であると認定しながら、他方、爆発物取締罰則違反については未遂罪と認定して各法条を適用しているのは不合理であり、この点からも右罰則違反については第三条の予備罪の規定を適用すべきであると主張する。しかし、殺人罪と爆発物の使用罪とはそれぞれ犯罪の構成要件を異にし、したがつて、その実行の着手と認めうる時期ないし行為の段階を異にするのであるから、所論指摘のように一方の罪については予備罪、一方の罪については未遂罪に該るものとしてもなんら不合理の点はない。各論旨は理由がない。
第四検察官の控訴趣意第二点並びに弁護人の控訴趣意第二点おびよ被告人の控訴趣意中量刑不当を主張する論旨について。
検察官の所論は原判決の量刑が軽きに過ぎて不当である旨、弁護人および被告人の各所論はいずれもそれが重きに過ぎて不当である旨、それぞれ、原判決の量刑不当を主張するにある。
よつて、各所論に徴して按ずるに、まず本件において看過しえないのは爆発物使用の目的とその危険性にほかならない。
すなわち、本件は、原判示のごとく被告人が窃盗事件の被告人として審理され、懲役三年の求刑をされて自らも実刑判決を予想したところから、自分と、年令、容貌の似かよつた者を身代わりとしてダイナマイトで爆殺し、世間や司直に対して自らは死亡したもののごとく装うて自己の刑責を免れようと企て、身代り人を物色中、たまたま幼少のころ自分と双子のように似ていると言われたことのある本田弘を思い起し、同人を欺いてこれにダイナマイトの時限爆発装置を持たせ、飛行機に搭乗させたうえ、その航行中に飛行機もろとも爆破墜落させて同人を殺害しようとしたものであつて、本件ダイナマイトの爆破力とその爆発方法の特異性に照らせば、右計画の危険極まりないものであることは明白であり、これが所期の目的を達した場合における惨状に思いを致すならば、まさに慄然たるものがあるといわざるをえない。そして、被告人は、かかる結果の重大性に比較すればまことに軽微な苦痛ともいうべき実刑判決の服役、しかも、それは、自己の犯罪によつて自ら招いた苦痛であるにもかかわらず、これを免れんがため、なんら責むべき事情もない多数の人命をもあえてこれを無視し、否、被告人が、そもそも本件犯行を企図した契機は、原判示のごとく、当時続発したB・O・A・C機の富士山麓墜落事故等における悲惨な遺体の状況に着目したによるというにあり、さすれば、被告人はむしろかかる惨状を予期して本件犯行を企てたものというべきことに徴すれば、その心情はまことに冷酷、人命を軽視するも甚だしく、その他、右計画の準備、遂行の過程から看取しうる被告人の反社会性は、その結果のいかんにかかわらず、量刑上、到底軽視することはできない。
なるほど、右犯行の計画は、原判示のごとく、その中途にして失敗に帰し、所期の目的を達しえなかつたとはいえ、被告人自らの意思によつてこれを中止したものでもなく、すでに被告人は本田を空港まで伴つて飛行機の搭乗券も購入し、本田に渡すべきダイナマイトの時限爆発装置も殆んど完成に近い段階において、たまたま操作上の誤りにより、意外な時期と場所において、ダイナマイトが爆発したものであることにかんがみれば、さきに説明したように、被告人において飛行機内の爆発計画を変更して自らたばこの火等で点火して爆発させたものでないにしても、これと比し、その犯情は殆んど軽重の差異がないというべきである。
ところで原判決は、本田弘の負傷の事実に関し、過失傷害の訴因がない以上、罪となるべき事実としてこれを認定できない旨説示しているが、その点はともかく、これを爆発物取締罰則違反の観点からみれば、右本田の傷害は、原判決が認定した同罰則第二条違反の事実、すなわち、爆発物を使用せんとした行為の結果にほかならず、このことは、同じく重傷を負うた松岡孝の被害、さらに、日本空港ビルディング株式会社の約二五〇万円相当に及ぶ物損被害についても同様であり、これらの実害の程度もまた量刑上これを無視することはできない。
以上の諸点、その他本件犯行の社会的影響等、記録によつて窺われる諸般の情況、なかんずく、前記のごとき本件犯行の目的と危険性にかんがみれば、弁護人並びに被告人自ら指摘するような諸事情等被告人の利益に斟酌すべき情状を十分考慮に容れるとしても、原判決の量刑は軽きに過ぎるものといわざるをえず、これを破棄してさらに厳しくその責任を問うのが、むしろ前記本罰則制定の趣旨にもそうものというべきである。検察官の論旨はこの点において理由あり、弁護人および被告人の各論旨はいずれも理由がない。
よつて、被告人の本件控訴は理由がないのであるが、検察官の控訴は理由があるので、刑事訴訟法第三九七条、第三八一条によつて原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書によつて直ちに自判する。
原判決が認定した事実(さきに説明したとおり、当裁判所は一部変更認定しているが、右変更認定した部分を加味して判断しても、後記適条には変りはない。)に法令を適用すると、被告人の原判示所為中殺人予備の点は刑法第二〇一条に、爆発物を使用せんとした所為は爆発物取締罰則第二条に該当するが、右は一個の行為にして二個罪名にふれる場合ではあるが、同罰則第一二条、刑法第一〇条により、重い後者の罪の刑に従つて処断することとし、所定刑中無期懲役刑を選択して被告人を無期懲役に処し、刑法第二一条により、原審における未決勾留日数中一八〇日を右刑に算入し、原審および当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により、全部被告人に負担させることとして主文のとおり判決する。(栗本一夫 石田一郎 金隆史)